教育

学問は自ら進んで学ぶもので、人から強制されて学ぶものではない
先生は言った。

皮肉なことに大学までの教育期間までは何かを学びたいという気持ちはほとんどなかった。それが卒業し、社会に出始めると自然と学びたいという気持ちが出てくる。自然といろいろなことを知りたいという貪欲な気持ちが表れてくる。なぜ教育期間に学ぶことができたのに学ばなかったのか、悔しさが残る。
大学まで出たが、別に大学が良い悪いは関係ない。大学に出る出ないは正直どうでもいいと思う。重要なのは何をそこで学び、そこで何を得るかじゃないか。
死んだ知識は要らない。役に立たないことは学ぶ必要がないと思う。
つまらないことを詰め込んでも社会や自分のためにもならない。なぜどうでもいい事を教えるのか。子供の可能性を摘み取っているような気がする。
もっと教えることがあるのではないか。その中で興味を持ったことをさせるほうがいいのではないか。
10代では、何を学んでいいか、指導者が言ってもわからないことが多々あるのは仕方のないことだが、それでも興味のあることを導き出してやる、そういった教育が必要ではないのか。

正直高校時代まで自分が何を学んでいるか、何をしているのかわからなかった。なんで学校など行ってるのかわからなかった。というか考えもしなかった。でも学校に行けば友達もいたし、楽しかった。楽しいのは友達と話しているときで授業で学んだ内容はほとんど覚えていない。何のための受験をしたのかよくわからなかった。なんで進学しなければいけないかさえわからなかった。

今日の教育にはいろんな問題が出てきている。子どもたちの学力低下、学習意識低下。それに先生の指導力不足
詰め込み教育を改めた結果、ゆとり教育に変わったのだが、ゆとり教育の中にももっと盛り込まなければいけないことがあるのでは。

10代までに必要なことは、国語、数学、理科、社会、英語どれも必要だが、もっと興味をもつ教え方をして欲しいものだ。
それに加えて、早期の英語教育で読み書きだけではなく、話すことを重点的にしてほしいものだ。英語ができないというのはものすごくつらい。英語はツールであって勉強ではない。教育のせいにはしないがあれだけ学んできた英語が使い物にならないのはつらい。
それに自己表現の仕方、討論や議論いろいろなことに対して先生や生徒同士で話し合いを持つべきだと思う。社会に出たとき右も左もわからない状態になってしまうのが不安だ。実際社会に出てから仕事を学ぶと同時に社会のルールも学ばなければいけない。



大学生活 - 笑顔でいこう