笑いはクスリ

笑いも百薬の長 

しのびやかに笑うことをクスリと表現するが、表題のクスリは「薬」の意味である。昔から「酒は百薬の長」と言われてきた。適量を飲めばからだにいい。しかし飲み過ぎるとかえって害になる。近代医学では「笑いも百薬の長」と言うようになった。動物で笑うのは人間だけであり、笑いとからだ、笑いと病気の相関関係が次第に明らかにされてきたのである。笑いは血行をよくし、気持を明るくし、免疫機能を高める――ということが医学的に実証されている。昔の人はこうした知識を持ち合わせていなかったが、笑いの効用については十分に心得ていた。

笑いは世界共通  

中国では古くから「笑門来福」と言い、「一怒一老、一笑一若」と言いならわしてきた。日本でも「笑う門には福来たる」と言われているし、「怒ると老けますよ。笑うと若返りますよ」という言葉には妙に説得力がある。アフリカの諺に「明るい笑顔は家の中の太陽である」というのがある。結婚披露宴の祝辞に使うにはもってこいの言葉である。お正月の行事にも笑いはつきものであった。三河万歳は身ぶり手ぶりよろしく面白い歌い文句で門づけをしたし、家の中では家族が福笑いの遊びに興じたが、いまではすっかりすたれてしまったようだ。山口県防府市の「笑い講」はいまでも行われている。年末に当番の家に十数人が集まり、その年を無事に過ごせたこと、新しい年がよい年になることを祈念して、大きな声で笑う行事である。最初のうちはぎこちなさが出たり、空笑いであったりするのだが、そのうちに皆が腹の底から笑うようになる。聴いている方も思わずつりこまれて笑い出してしまうほどである。年末のあわただしい中で、いかにものどかな行事と言える。

笑いの系譜
笑いの系譜を辿ってみると、最初はなんといってもアメノウズメノミコトの歌と踊りである。アマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れてしまい、あたり一面は真っ暗闇。神々が困り果てているときにアメノウズメノミコトが薄衣を身にまとって面白おかしく歌い踊った。それを見て神々は囃したて笑い声をあげたのでアマテラスオオミカミが何事ならんと岩戸を少し開けたところ、タヂカラオノミコトが力まかせに引き開けたので、この世は再び明るくなったという神話である。笑い声はこの世の中を明るくする力を持っている。 

鳥羽僧正の描いたといわれている「鳥獣戯画」は、いつみても面白くて楽しい。能・狂言の前身とされる申楽(さるがく)も、なかなかに滑稽味がある。豊臣秀吉にはお伽(とぎ)衆と呼ばれる人たちがいて、中でも有名なのが曽呂利新左衛門。頭の回転が早く頓智がよくきいたという。頓智と言えば一休禅師も大変な人であった。笑いは人心収攬(じんしんしゅうらん)にも使われるが、逆に時の権力者を風刺、揶揄(やゆ)する場合にも使われる。京の都大路に貼り出された「落首」がそうであり、一休禅師もなかなか辛辣な言葉を発している。江戸時代になると狂歌、川柳が盛んとなった。これに都々逸が加わって、現在でも時流を風刺している。漫画もまた全盛をきわめている。落語の元祖は江戸時代末期の三笑亭可楽とされているが、漫才、漫談も含めていわゆるお笑いも根強い人気を保っている。芝居や映画にも喜劇といわれる分野がある。

笑いで病気を克服  

カナダの医師ハンス・セリエがストレス学説を発表したのは1936年。米国のジャーナリストのノーマン・カズンズが難病の強直性脊椎炎にかかりながらも、生きる意欲を強く持ち、笑うことに専念し、ビタミンCを大量摂取することによって病気を克服したのは1964年。ストレス学説にヒントを得て、物事をポジティブに考え、とにかく笑うことで病気と闘ったわけである。それが見事に奏功し、論文にまとめて発表したところ、世界中から大変な反響を呼ぶことになった。日本でも筑波大学小田晋先生は「一日に100回は笑ってほしい」と呼びかけ、倉敷市の柴田病院の伊丹仁朗先生は「生き甲斐療法」を実践している。日本医科大学の吉野槙一先生は慢性関節リウマチの治療に落語家を登場させた。旧約聖書箴言」の一説に「喜びに満ちた心は、薬のようによい働きをする」とあるのがヒントとなって、患者さんに一時間落語を聴いてもらった。結果は上々吉であった。

笑いの効用  

医学博士の花岡満男先生は、笑いの効用を 次のようにまとめている。 

①いくら使っても減らないし、無料。  
②長時間大量に使っても副作用がないし、中毒症状も起こさない。  
③周囲も陽気になり、活力が湧いてくる。  

腹の皮がよじれる、脇腹が痛くなるほど笑ったことが最近あるだろうか……。